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Nonsense Story

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旧校舎の幽霊 5


 能島が絶対にその日のうちに渡せと言うので、ぼくは帰りに英語の準備室に行って、川野先生に手紙を渡した。
 先生は、誰からのものか気にしていた。しかし、ぼくが卒業生らしい人から預かったと説明すると、中を見れば分かるわね、と中身を取り出していた。
 ぼくは先生が手紙を読む前に準備室を出た。あの大橋も英語の教師なので、長居をしていると鉢合わせしそうで嫌だったのだ。幸い、その日は彼女に出くわすことなく帰ることができた。
 しかし、幽霊は不満をあらわにした。
「なんでちゃんと反応を見てこなかったのよ!?」
「反応まで見て来いなんて言わなかっただろ?」
 ぼくは抗議した。
 翌日の朝、赤松より先に多目的教室に着いたぼくは、能島に昨日の川野先生とのやり取りを説明していたのだ。
 窓もカーテンも閉め切った薄明るい部屋に、ぼく達の声がこだまする。朝は用心して、カーテンも開けないようにしていた。
 相手はあっさり折れた。
「それもそうね。ま、いいわ。また頼みたいこともあるし」
「げっ。今度はなんだよ? 大橋に渡すのは嫌だからな」
 幽霊は例のにやにや笑いを始めた。
「きみはそんなこと言える立場じゃないってこと、分かってないようねぇ」
 机に座って見下すようにぼくを見ていたかと思うと、急に身をかがめて、椅子に座ったぼくに顔を近づけてくる。ぼくは上体を精一杯逸らせた。
「あたしさ、この部屋を出て、校内を歩きたいのよ」
 幽霊は、海に行きたいと言う子供のように目を輝かせた。
「はぁ? 勝手に歩けばいいじゃん。俺は止めないけど」
「なによぉ。案内してくれたっていいじゃない。ナビなしじゃ歩けなーい」
 能島は、両手を顔の前で握って、嫌々をするように身をよじっている。
「仮にもここの学校の生徒だったんだろ? それくらい一人で行けよ」
 ぼくは、群れる女子というものを軽く嫌悪しているところがあった。トイレにも一人じゃ行けないなんて、ガキだとしか言いようがない。何が「歩けなーい」だ。
 能島は嫌々を止めて、ぼくを睨んだ。
「あのこと言ってもいいのかなぁ?」
 ぼくに断る余地はなく、すぐに出発することになった。
 旧校舎から少し歩くと体育館があり、その辺り一帯は桜が植えられている。もう花はほとんど散ってしまっていて、上を見るよりも、地面のほうが満開になっているように見える。幽霊は楽しそうに花びらの上を歩いていた。
 能島愛子が飛び降りたのも今くらいの時期だった。二年前、冷たくなった彼女の上にその薄紅色の花びらが舞い降りていたことを、幽霊は知っているのだろうか。
 能島が川野先生の教室を見たいと言うので、赤松のクラスへ向かった。川野先生は、赤松の担任でもある。
 赤松がこの時間帯に能島に会いに行く可能性があったので、彼女のクラスへ行くのは、行き違いを防ぐいいアイデアにも思えた。
 能島と歩いていると、さすがに目立った。人の視線というものをこんなに感じるのは、初めてかもしれないとさえ思える。これだけ見られているということは、やはり能島は幻などではなく、生身の人間なのだと思う。万人に見える幽霊ってのもおかしいもんな。
 知っている奴には、例外なく野次を飛ばされた。
「誰だよ、その美人。しかも一年生じゃん。どこで捕まえたんだよ」
「おまえばっか、なんでいつも女連れてんだよ。彼女、名前は?」
「女の子引っかけてる暇があったら、陸上部へ入れ。入らないなら、その俊足だけ俺に寄越せ」
「赤松さんに怒られるぞ」
 特に自分から否定もしていないので、赤松とぼくの仲を誤解してくれている奴もいる。ぼくが能島と歩いてるなんて知ったら、赤松は怒るどころか羨ましがるだろう。
 ぼくは適当に冷やかしをあしらっていたのだが、能島は面白がって腕を組んできた。その腕にはちゃんと体温があり、能島が生きていることをぼくに知らせた。
「そういやあんた、昨日の朝、何探してたんだ?」
 ぼくはふいに、多目的教室の床に這いつくばっていた彼女の姿を思い出して、訊いた。
「別に何も。きみの気のせいじゃない?」
 能島は、ぼくの腕に自分の腕を絡ませたまま、素っ気なく答えた。
 教室の前で、赤松を見つけた。ちょうど良かったと思い、小走りに近づく。能島が声をかけた。
「二枝ちゃん、おはよう」
「あ、おはよ」
 赤松は下を向いて小さく答えると、すぐに教室の中に消えてしまった。能島は少し傷付いた顔をした。
「どうしたんだろ、二枝ちゃん。妬いてるのかしら」
 ぼくは、しまったと思った。人の大勢いるところで話しかけると、赤松は変な気を使ってしまうのだ。
 ぼくは教室と反対側の窓際に能島を引っ張っていき、小声で言った。
「気にするなよ。あいつ、気を使ってるだけだから」
「どういうこと?」
「赤松は、人が自分と仲良くすると、その人が周りから変に思われるんじゃないかって考えちゃうんだ」
「なんでそんなこと考えるのよ。変なの」
 能島は唇を尖らせて、窓の外を見た。横顔のラインが整っていて、とても綺麗だ。その瞳は自信に溢れ、朝日を浴びて輝いているように見える。
「あんた、やっぱり、本物の能島愛子じゃないな」
 名無しの幽霊は、こちらに視線を戻した。
「なんで急にそんなこと言うのよ」
「いじめが原因で自殺した彼女なら、たぶん赤松の気持ちが分かるから」
 赤松はいじめられているわけではない。でも、人の群れにうまく溶け込むことができない。そして、そのことに大きな引け目を感じていた。
 何か事が起こったとき、人の群れから浮いていると標的になり易い。その時、自分と仲良くしている人間まで巻き添えになることを、赤松は怖れているのだ。
「どーせ、あたしはそんなに繊細に見えませんよーだ!」
 能島(仮名)は、あっかんべぇをした。
「いいんだよ、それで」
 今度はぼくが彼女から視線を逸らした。能島(この先、仮名略)は、わけが分からないというように、ぼくにせっついてきた。
「どういう意味よ? まさか、あたしに惚れたんじゃないでしょうね?」
「まさか」
 惚れるわけがない。でも、赤松に少しでもこいつのような図々しさがあればと思う。この迫力娘の十分の一でいい。もっと図太く、もっと強(したた)かになってくれれば。
 赤松はもう教室から出てこなかったが、目的の川野先生がやって来たので、ぼく達はまた教室側へ体を向けた。
 また能島から声を掛けた。明るい声を出していたが、微妙に緊張していることが少し触れている腕から伝わってきた。
「おはようございます」
「おはよう」
 川野先生は、いつもどおり優しく言葉を返したが、ちょっと身をかがめると小声で言った。
「あなた、こんなネックレスなんて付けてると、大橋先生に没収されちゃうわよ。せっかくかわいい指輪が付けてあるんだから、大事にしないと」
 なんと能島は、校内探検をするにあたり、わざわざ制服を開襟状態にして、鎖に付けた指輪がよく見えるようにしていたのだ。
「あら、お揃いみたいね」
 先生は自分の指輪を能島に見せて、いたずらっぽく微笑んだ。昨日、手紙を渡した時も思ったことだが、赤松の言っていたとおり、よく似ている。
 それから川野先生は、ぼくに手招きをした。ぼくは能島から離れて、先生の方へ身を寄せた。能島に背を向ける形になる。
「あの手紙なんだけど、本当に誰が書いたか分からない?」
 川野先生は、内緒話をするように、小さく耳打ちをしてきた。
 ぼくはチラッと能島を盗み見た。彼女はじっとこっちの様子を窺っている。ぼくは本当のことは言ってはいけないような気がして、首を横に振った。
「すいません。本当に知らない人だったんで」
「そう。困ったわね。たぶん、人違いだと思うのよ」
「何が書いてあったんですか?」
 先生は少し考えてから言った。
「後で英語の準備室へ来て」
 ぼくは頷いた。背中に、痛いほどの能島の視線を感じながら。


つづく



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